yurai’s blog

なんかそれっぽいこと書いてあることにしてください

正しいことと、正しさを信じること

ほんとうの正しさなんてない

正しさなんて、その人がいる場所や時代によって簡単に変わってしまうものだから

でも、なにかを「正しい」って信じて進まないといけないときってあると思う
それはきっと、自分が頑張ろうって思ったとき

あくまでも自分のものさしの上での正しさだから、誰かにとっては欺瞞にみえると思うし、誰かを不快にしたり、怒らせたり、悲しみに沈めたりするかもしれないです
だからたくさん対立するし、ケンカになったりするかもしれない

でも、ときに必要なことだとも思う
自分の正しさが自分以外の人にとってどのくらい正しいのか確認できるし、解釈の誤りに気付いて修正できる
そうやって自分の正しさが磨かれていって、少しずつだけど、たくさんの人に応援してもらえる正しさが出来上がっていくのかな…なんて思います

今は、インターネットとかでやり取りが残る時代なので、自分が昔何を言っていたのかたくさん残るんだよね
だから、意見を変えたりすると突っ込みが入ったりするし、引っ込みがつかなくなって突っ走るしかないなんて思ってしまうこともあったりして…

一貫性がないことは信用を失うかもしれないし、失った信用は取り戻せないかもしれない
でも、だからといって何かから学ぶことを放棄する必要なんてないと思うし、自分で誤りだと思うものを正しいと思い込んで追いかけるのってつらいし、そういう偽装も言動に出てしまったりするし…
無意識なんてコントロールできないから

いつかはばれたとき、結局、守ろうとしていた信用すらも失っちゃうかもしれなくて

でも、たくさんの人の価値観に触れられることはすごいことだと思う(いいことか悪いことかはわからないけど)
今までは接点もなかったような人とも意見交換ができて、違う解釈もできるようになるし、自分と違う正しさがたくさんあるんだって気付けたり…
それは感じるものを増やしてくれるし、人生を豊かにしてくれるかもしれないです

繋がれる世界が広くなれば、対立しうるものの数は計り知れなくなって、もしその全部に触れて、ぶつかれるならば、「正しさ」はもっと正しくなれるのかもしれないけど、そこまではしなくてもいいかな…って思います

だって「正しさを信じること」は自分を(気分よく)走らせるための手段だと思うから

いつも結論を先に言いなさいってよく言われたから、そうできるように黙って考えてたけど、過程を飛ばしちゃうのも伝わらないんだよね…
最近、教えてもらって気がつきました←

ほんとうの正しさなんてないと思うけど、正しさを信じるからできることはあるのかなって思いました!